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小学校の同窓会というと、終戦の年生まれの僕らは卒業してから早や50年が経っているということになる訳です。思えば遠い昔の話です。笑いあははは。 はてさて今回は一体何人ぐらいの仲間が集まれるものなのでしょう笑顔音符 僕の直ぐ下の妹達の学年は所謂「団塊の世代」と呼ばれる第一次ベビーブーム世代でしたが、僕らはその反対に戦後最も人口の少ない世代と言われ、小学校のクラスは3クラスしか無く、しかも6年間クラス替えも無かったと記憶しています。笑顔音符 そのせいかどうか分かりませんが、いまだに頻度良く小学校のクラス会をやれているというのは、それなりにクラス仲も良く、かなり結束は固い方なのかも知れません。笑い それでも、我等が母校は公立の小学校だと言うのに、そこからほぼ全員が進学する公立の名門中学に入れさせる為「越境入学」と呼ばれる転校生が途中からいっぱい入ってくるような学校でした。ドクロ汗
それに対し、僕は言えば、その小学校の付属幼稚園から進学した純粋の「学区内児童」でしたので、毎日の楽しみといえば「授業の合間の休み時間」と「給食の時間」と「体育の時間」、それと何よりも「下校時間」が大好きな、成績とかとは全く無縁な小学生でした。笑顔音符☆?( ^o^)o_彡☆あははっ。 そんなわけで、僕にとっては小学校は単なる遊び場の一つに過ぎず、その当時としてはそれなりに楽しく過ごしていたと思いますが、これと言って強い思い出のあるところとは言えません。ドクロ汗 ただ、その頃から動物が好きで、自ら進んで学校で飼っている小動物の飼育係を担当したりしていて、そうしたことがその後大学で生化学を学ぶ原点だったような気がしています。笑い音符 基本的に地域密着型の小学校なのですが、転校生が多かったこともあり、比較的同級生に地元の子が多いとは言えず、中学、高校と卒業後の進路がバラバラになるに連れ、自然と交流は途絶えてしまっていました。ドクロ汗 それが、卒業後20年が経過した辺りから急にクラス会が再開され、年を経るごとにその頻度が徐々に多くなってきているように思います笑い・・・って、考えてみればそれもそのはず、歳と共に健康を損ねたり亡くなる仲間までチラホラ出て来てくるようになると、次回にもこの顔ぶれがちゃんと揃うのかな?なんて冗談が、段々現実味を帯びて笑って済まされなくなって来ちゃっていますからね。。。ドクロ汗汗 クラス会だからみんな同い年に決まっていますが、会えばその年齢の自分を素直に認めたくない自分がいたりして辛いところです笑顔 ☆?( ^o^)o_彡☆あははっ
このところチョッと公私共に色々忙しいこともあって、今回は出席を見合わせようかとも思っていたのですが、間際になって幹事の女性から電話があり、今回は1?3年の時の担任の先生と4?6年の時の担任の先生が揃って遠方からわざわざ来てくださるので是非ご参加を、と誘われ、急遽出席することにしましたOK笑顔 先生方はお二人とも女性の先生で、年齢も共に今年79歳だそうですが、滅茶苦茶お元気で、お一人はその日に飛行機で金沢に帰られるというのに、時間ギリギリとなる二次会までお付き合いされるほど楽しんで居られ、「次回は私が生きてる内に必ず開いてね!」と何度も念を押されてお帰りになりましたまる音符☆?( ^o^)o_彡☆あははっ。。。。いやいや・・・それは先生より僕らの方が怪しいかも、と言う声が聞かれるほどのお元気さには、みんな脱帽するしかありませんでした。笑いOK
・・・でも、先生方もしきりに仰っていましたが、現在79歳ということは6年を担任した時29歳という訳ですから、1年生を受け持った時は23歳ということになり、まさに僕らのクラスが教職に着いて初めて担任したクラスだったりした訳で、社会人になって最初の5年?6年というのは何もかもが新鮮で、戸惑いや悩みも多かったでしょうし、それだけ僕らのクラスには特別の思い出や思い入れが沢山御ありのようでしたウインク音符 先生方お二人にはこれからも是非お元気でお過ごしいただきたいものですし、これからもこのクラス会が1回でも多く開かれ、できるだけ多くの仲間が集まれたらいいな、と思いましたラブ

写真は明治4年創立とされる我が母校^^w思い出の庭です♪